10.土橋地区


爆心地から約800メートル

第二次世界大戦の末期、空襲による火災の延焼を防ぐ目的で、木造家屋を解体する建物疎開が市内の各地で実施されました。この作業には、隣組や職場の人たちで組織された義勇隊をはじめ、国民学校や女学校、旧制中学校の学徒も動員されました。被爆当日は第6次の建物疎開作業中で、この土橋地区(小網町・西新町・堺町)にも多数の義勇隊員や約1,800名の学徒が動員されていました。人類史上最初の原爆投下により、その多くが痛ましい犠牲者となりました。

写真説明:爆風により倒れた鉄塔、前方の建物は光道国民学校の残骸 岸本吉太氏撮影