18.縮景園

設置場所 : 中区上幟町2番11号
爆心地から約1.35キロメートル

この庭園は、1620(元和6)年、広島藩主浅野家の家老上田宗箇により藩主の別邸として設けられました。戦前は市民に「泉邸」の名称で親しまれていましたが、人類史上最初の原爆投下により、このように無残な姿となりました。被爆直後、数多くの被災者がここに避難してきましたが、治療もほとんど受けることができないまま息絶え、その遺体は園内に埋葬されました。

写真説明:縮景園の惨状 1945(昭和20)年10月 松本栄一氏撮影