19.八丁堀一帯

爆心地から約800メートル

1944(昭和19)年11月以降、空襲による火災の拡大を防ぐ目的から、政府の指示により防火帯消防道路、防空小空地をつくることになり、広島市内では133カ所(約27,000・)の建物疎開を実施した。
被爆当日、この地区でも建物疎開作業が行われており、県内及び市内各地から動員された義勇隊員や動員学徒の大多数が爆死した。
地区内の家屋は一瞬のうちに倒壊し、各所からあがった火の手のため、付近一帯すべて火の海となり焼失した。

写真説明:八丁堀一帯の惨状 松重美人氏撮影