42.鶴見橋

爆心地から約1.7キロメートル

被爆当時、この橋の西側では動員学徒や義勇隊の人びとが、焼夷弾などによる延焼を防ぐため、建物疎開作業に従事していました。人類史上最初の原爆投下により、この作業に動員されていた多くの人びとが犠牲になりました。この橋は木造だったため、原爆の強烈な熱線により欄干などに着火しましたが、すぐ消し止められ、多くの被災者がこの橋を渡って比治山などに避難しました。東詰めにあったシダレヤナギもかろうじて被爆に耐え、今日まで生き続けています。

写真説明:東詰めから撮影された鶴見橋とシダレヤナギ。1945(昭和20)年9月 松本栄一氏撮影