爆心地から約1.5キロメートル
鉄筋コンクリート3階建のこの病院は 原子爆弾の強烈な爆風により外郭だけを残して破壊されました。
当時この病院の一部は 広島陸軍病院分院としても使用されていました。
地下室に置かれていたレントゲンフィルムがすべて感光したことにより、この爆弾が原子爆弾であることが立証されました。
被爆後 生き残った医師・看護婦は、救護を求めて集まってきた被災者に残されたわずかな医療資材を用いて治療を続けました。
写真説明:外郭だけを残す赤十字病院 1945年9月 川本俊雄氏撮影