30.御幸橋

爆心地から約2.3キロメートル

1945年(昭和20年)8月6日、午前8時15分広島市の中心部上空約580メートルでさく裂した原子爆弾がもたらした膨大な被害によって、広島市の大半は瞬時に壊滅し、多くの被爆者が救護を求めて南へ、北へと逃れていきました。
この写真は、被爆後3時間を過ぎたこの地点を撮影したものです。爆心地から南南東約2300メートル離れていた、ここ御幸橋西詰めの警察官派出所前には建物疎開作業中に被爆した中学生をはじめ、多くの被爆者が群がり、わずかばかりの応急手当を受けていました。

写真説明:松重美人氏撮影